神を信じるというと怪しい怪しいニュアンスを含むのだが、
どうも信じざるを得ない経験というのが私には
ちょいちょいある。
オカルトな話をするつもりはないが、なかなか幽霊のようなものを見た事も
あれば、あまりにもおかしな経験をする事もちょいちょいある。
インドの神様でラクシュミー神という、豊穣の神様がいる。
豊かさを司る神様なので、私はずっとラクシュミー神を
崇めるというか、とても好きな神様で日本で言うところの
えびす様のようなものかと思っている。
いまの家に引っ越して最初の冬、私はラクシュミーの絵がプリントしてある
素敵なこのタイルの飾りを買った。
ちょっと昔のキッチュな感じのラクシュミーのイラストで
とっても気に入っている。そしてなぜか私は
タイルだから大丈夫だろうと
暖炉の真ん中の煙突部分に立てかけてしまっていたのだ。
もちろん暖炉の熱で、ラクシュミがタイルに転写してある
プラスチックの部分が溶けてしまった。
気が付いた時には、時すでに遅し。
しかしながら、慌ててタイルを暖炉の上から避けて、
溶けてしまったタイルを見て、
神様に対して私はなんてことをしてしまったんだろうと
自分を責めていた。
数日後。冷めたタイルを見ると
「絵が戻ってる・・・」
しかもなんか3D・・・・
プラスチックが溶けて、転写されたタイルから一部が
離れて浮き上がっている・・・
(真ん中がボケて見えるのわかりますか?)
でもタイルの端はプラスチックの転写部分はしっかり元の
ままで、実は
綺麗にラクシュミー神のところだけが
浮き上がっている。
まるでそこだけ型取ったかのように・・・
「さすがラクシュミー・・・・!!」
たまたまそれが溶けた結果になったとは思えないし、
とけるならもっと違う形でとけるだろうし・・・
私はなんだか妙にラクシュミーの美意識を
感じ取って、本当にラクシュミーの存在を
認めずにいられなくなりました。
それ以来本気で神様のエネルギーは有効だと
信じている。
そして、神様はいつの時でも、私たちを責める事は
ないのだと思っている。歩み寄るものには
手を差し出すし、すがるものには距離を置く。
与えることを惜しまない、それが神様なのかなと
思ったりする。
Om Shree Maha Lakshmiyai Namah.
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