
最近鏡を見る度、
Facetimeで旦那さんと話す度
自分自身の顔が「老けたな・・・」と感じ
自分自身の見た目や容姿に、エキサイトしていない自分自身を見つける。
髪の毛の間にキラリと光る
シルバーに変色した一本を見つけると
ドキッとする。
自分自身は
「中年女」である事を認識せざるを得ないのだ。
ここに、受け入れられていない、
「抵抗している」自分がいるという事だ。
老いている、熟している肉体を
素直に受け入れて、喜びを持っていないということに気づく。
40歳まだまだ 若いしイケてるやん
と大声で言えるか、といえば言えるときもあれば、
心の底では
もう、バナナでいうと
スイートスポット出てきすぎてるやん
スムージーしかなれへんやん
という逃げ腰の時もある。
何かしらの諦めやら
残念な感覚を感じているときがある。
しかし、
それでは、さらに老いて、老けて、枯れて、萎れていくだけだ。

ちょっと待って!
ていうか、
歳をとって重ねていくことは
お祝いであり、衰退では無い。
私たちは
経験を重ね、ちいさな喜びを拾い集めて
大きな喜びを経験している
賢い40代なのであれば、
20代の若くてエネルギーあふれた
コンプレックスの塊の女子達に比べて
喜びの
貯金レベルは比べ物にならないはずだ
人生の喜びを楽しむのは
20代よりももっと上手で
もっと粋に楽しめているのが
喜びの貯金がある、様々な経験を熟した私たちなのだ
ちいさな喜びの貯金をまたたくさん一日の中で
積み上げられる。そのちいさな喜びをたくさん拾い、
その喜びのチリが積もった時
世界は喜びそのものだし、老いた事も若い事も
全てを受け入れて
また自分自身を喜べる。
もう歳だから、という言い訳は
とても使いやすくて
武器にしやすくいて、
真っ当だと思い込んでいないか
また老いたの、若いの、
細いの、太いの、という風に
自分自身を尺で判断し、分析することは
自分への「抵抗」だ。
それは喜びの貯金から代金を払っている。
抵抗は、私たちの願望を実現することの邪魔をする。
今日はっきりと、
わたしは老いに関して「抵抗」している自分自身を
見つけた。
なんだ、歳をとる事をわたしは怖いと感じてたんだな
ときがついた朝だった。
今日がわたしは一番人生で若い日でもある。
最近貯金が勝手に減ってたのはそのせいかあ、と自分に笑えて、化粧品でも新調するか、と
カカオバターで出来た可愛い色の口紅を買った。
わたし自身に対するちいさな喜びの貯金を積み上げよう。

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